快晴ツェルマット
あこが着替えるガサガサという音で目が覚める。8月15日火曜日。時計を見るとまだ午前6時半過ぎ。なんだ早いな~。
「外を見てごらん」
どれどれ・・・。布団にくるまったまま手を伸ばしてメガネをかけ、横になったまま窓の向こうの北の空を見る。
こりゃ~いい!雲ひとつない快晴だ。あこはカメラを抱えて飛び出して行った。残念ながら部屋はマッターホルンと逆方向。お目にかかるにはホテルの外に出ないといけない。
数分して戻ってきたカメラの液晶モニターには、それはそれは見事な青空と、白きマッターホルンが写っていた。
すぐに荷物をまとめて、チェックアウトをし、そのままフロントに荷物を預けたら、またもや朝食を摂らずに出発。
代わりに昨日COOPで買ったクロワッサンにハムとチーズ、それと白ワインの小ビンをナップサックに入れておく。
ホテルを一歩でた途端、マッターホルンと御対面。朝日を浴びて白く輝く姿は見事の一言。今日もいい一日になりそうだ。
川沿いを遡ったところにあるシュルーマッテンのゴンドラ乗り場へと向かう。そこからマッターホルンの山裾にあるシュバルツゼーまで登り、山を間近に見ながら持って来た朝食をかじろう。そんな予定でいる。
ゴンドラ乗り場にはスキーやスノーボードを持った若い人達の姿が多い。
途中駅のフーリでゴンドラはふた手に分かれていて、我々が目指すシュバルツゼー方向ではなく、クラインマッターホルン方面に行けば夏でも滑走が可能なのだそうだ。
ゴンドラに揺られること30分程で、標高2589mシュバルツゼーに到着。この時間、まだここまで上がって来る人はチラホラといった感じ。
気温は低い。霜がまだ融けきってないベンチに腰掛ける。
眼下の小さな池がシュバルツゼー。そして正面にはマッターホルンが雲ひとつない青空に聳えている。昨日のゴルナーグラードやスネガに比べてぐっと近いので、大きくて見上げるような感じ。左に視線を移すと、昨日は雲に隠れがちだったリスカム、モンテ・ローザもくっきりと見渡せる。持ってきたハムとチーズ、クロワッサンを食べつつ白ワイン舐めれば、なんとも幸せな気分。
マッターホルン大接近
腹も満たされたし、このまま引き返すのはもったいない・・・ということで少し歩いてみる。草木はほとんどなく岩ばかり。そこにトレッキングルートが見えている。
その先の最初のピークに物置小屋のようなものがあるので、とりあえずそこを目指すことにする。
視界を妨げるもののない岩場だから近く感じるだけかな?と思ったが、これは錯覚ではなくて、10分も歩かないうちに到着。
上の丘の頂き近くにもうひとつ小屋を発見。これだけではあまりに物足りないので、その小屋を新たな目標にする。
今度は途中で少し急な場所もあり、また、陽射しが強くなって来たので、ゆっくりゆっくり進む。それでも、さっきの小屋から15分くらいで目指す地点に到着。ここまで来るとツェルマットの町がのぞき込める。
孤高の巨人がさらに近付いてきた。
もう少し行ってみよう。休み休みつづら折りを登って行くと、平坦な頂きにでる。そこから先は緩やかな下り坂で、小さな谷になっている。
この小さな谷を隔てたあちら側の急斜面はマッターホルンの東壁だった。人間を寄せ付けない垂直に近い斜面。のけぞるような圧倒的な存在感。「おぉ~」とか「ワア~」とかしか言葉が出ない。
あれよあれよという間にマッターホルンの付け根まで来てしまった。朝の時点では全然そんな気なかったのに。
右に伸びる険しい斜面がヘルンリ稜。そのまま刃の様に尖ったマッターホルンの尾根に繋がっている。谷底は氷河の終点で小さな水溜まりが見えている。
どうせなら・・・と緩やかな下りなので谷底まで下りてみる。地面からと雪山からの照り返しで陽射しは一層強く感じる。こりゃあ、日焼けしそうだ。
平坦な谷底にでた。
あぐらをかいたみたいな巨人。とうとうその足元まで来てしまった。ますます大きく高く険しく見える。遊覧飛行らしきヘリコプターが2機飛んでいる。今日の遊覧飛行は、きっと最高だろうな。
山頂に人の姿がないか目を凝らして見てみる。やっぱり見えない。中腹に視点を落とすと、稜線が「く」の字になだらかになったところに山小屋がある。山頂アタックはあそこが基地になるのだろう。
登山ルートは、さっきいた平坦な丘から右手の険しい壁へとつながっているようだが、岩場なのでコースがよく判らない。どうやら、トラバースと小さなつづら折りを繰り返して壁の反対側にでるようだ。そこから先は峰を縦走して山小屋まで行くのだろう。
赤茶けた岩場のつづら折りを登る。道は整備されているが、さすがにここまでよりは険しい。湿度が低いのでそれほど感じないが、結構汗をかいている。水を多めに持ってきておいてよかった。何しろこんなところまで来るつもりなどサラサラなかったんだから。逆に言えば、水を持って来たからこそ前進できたのだが。
これは怖い!
トラバースの途中で、道が岩壁に鉄パイプを打ち込んで造られた足場の上を歩く。墜ちたら、さっき我々がいた谷底まで真っ逆さま。
ひょえ~、ギシギシいってるけど大丈夫か?おまけに、途中2箇所も床板が抜けてるし。40~50cmとは言え、おっかなびっくりまたぐ。
いよいよヘルンリ稜の上にでる。
積まれた石の上に十字架が建ててあるところをひょいと曲がると、しばらく背にして歩いていたマッターホルンとご対面。そして、これまで見えなかったマッターホルンの西側も視界に飛び込んでくる。
このあたりは浸食されてお椀を伏せたような大きな岩がポコポコある。そなかのひとつに登り、その上であぐらをかいてマッターホルンと向かいあう。
でっかいな~。こんなに近くまで寄れるとは思ってなかった。改めて感激。
いま居るのは、あぐらをかいた巨人のひざ頭あたり。ここからからだと、ふとももの上を通って、へそのあたりにある山小屋までのルートが真っすぐに見通せる。
距離は長いものの太もも上の縦走は比較的簡単そうな感じがするが、そこから先、最後の足の付け根からへそまではそれなりに険しそうだ。
それにしても、こんな姿をした山を造るなんて、自然の力って凄い。岩の上に座って、白い山、青い空、強い陽射し、乾いた空気を心ゆくまで味わう。心も体もすっかり漂白され、スッキリとした幸せな気分。
そろそろ戻ろう。体力的にも技術的にも山小屋までの往復は可能だろうが、時間的にツェルマットに戻るのが夕方近くになってしまうのは避けたい。今日の宿泊地は決まってないので、夕方までには宿探しをする必要があるのだ。
そして何より、漂白された心と体が、今度は猛烈にビールを欲し始めたのを止めることが出来なくなってしまったのだ(軽い熱中症?)。
すでに頭の中にはシュバルツゼーの山岳レストランで生ビールを呑むシーンが渦巻いている(軽いアルコール依存症)。はやる気持ちを抑えて、ゆっくりゆっくり下っていく。なにしろ、足元ばかり見ていたらもったいない景色がずーっと続いているのだから。
この時間、まだ登って来る人の方が多い。そのうちの1割くらいが日本人。みんな元気な中高年だ。
すれ違うたびにあいさつだけでなく、どこまで登ったのか?どれくらいかかるのか?などと聞かれて、その都度立ち話しになるので案外時間がかかるが、そんなコミュニケーションもまた楽しい。
シュバルツゼーのゴンドラ乗り場と山岳レストランが見えてきた。朝と違って、ゴンドラから続々と人が降りてくる。ランチタイムなのでレストランのテラスも賑わっているようだ。
午後1時、我々は念願の中ジョッキを手にした。思いもかけなかったマッターホルンへの大接近は実に素晴らしかった。
マッターホルンに乾杯!
ツマミとしてサラダとハムをオーダーし、それと昨日買ったクロワッサンにチーズをテーブルに並べる。しかし、何よりも素晴らしいツマミはマッターホルン、モンテローザをはじめとする4000m級の山々。なんと贅沢な時間。もう、思い残すことは何も無い。ありがとうマッターホルン!またなっ!
フェスティバル
ホテル・クローヌに戻ったのは午後1時半過ぎだった。預けていたスーツケースを回収し、ホテルの電動タクシーでGGBのツェルマット駅まで送って貰う。
せっかく天気も良いので、今のうちにベルナーオーバーラントまで行って、アイガーやユングフラウを拝もうか?明日も晴れるという保障はどこにもないのだ。
そんな事を考えながら電気自動車に揺られること数分、ツェルマット駅に到着。
駅の周りは大賑わいだった。様々な衣装の人達が続々と集まって来ている。そういえば昨日の夕食のときレストランのおばさんが「午後2時からフェスティバルがある」って言ってたな。
切符を買ったら、発車までの間に近くにいる民俗衣装の人達を写真に収める。なにしろスーツケースがあるので行動がかなり制約されてしまう。
続々と人々が集結してきた。みんな笑顔。さらには犬やら羊やらも登場。なんだかこれはとても楽しそうだぞ。
時刻は午後1時50分。このままツェルマットを去るのはあまりにもったいない。そこで電車を1本やり過ごして、フェスティバルの最初の方だけでも見ていくことにした。
邪魔なスーツケースは駅前広場に面したレストランのテラスの脇に放置。持ち主がテラスにいるかの様に装ったのだ。まあ、貴重品は身につけているし、盗まれたら盗まれたで諦めよう。我ながら、こうゆうところはなぜか潔い。
身軽になったところで、スタートが迫ったフェスティバルの列の先頭が見えるところに陣取る。人々の隙間から、我々のスーツケースも垣間見れる。うむ、今のことろは無事だな。
配られていたチラシを見ると「ツェルマット・フォルクローレ・フェスティバル2006」とあり、30~40組くらいの参加チームが箇条書きになっている。想像よりも規模が大きい。
そして、フェスティバルの列が動き出してみると、この場所が実にナイスなポジションであることが判明。各グループがみんなここで一旦止まって、それぞれのパフォーマンスを見せてくれる。
ここから先、あれこれと長いコメントは省略。とにかく写真でその楽しそうな雰囲気を味わって頂きたい。
なお、当初は一本やり過ごすだけのつもりだったのだが、結局、電車に乗り込んだのはパレードが完全に通り過ぎたあとの約1時間半後。すっかりフェスティバルを堪能した我々であった。
カートレイン
幸いなことにスーツケースは無事だった。スイスの治安の良さに改めて感謝。やがて、フェスティバルの列を見送った人達が駅に流れ込んでくる。お陰でテッシュまでの車内は大混雑。床に座っている人もいる。
テッシュで2日振りにパンダと再会。
さて、今夜はホテルの予約をしていなかったので、道中に気に入った小さな村があったら、そこにふらりと立ち寄って泊まる・・・みたいなのに憧れていたものの、時刻はすでに午後4時前。
ある程度ベルナーオーバーラントに近付きながら、なおかつ宿を探すという技は、我々には困難と判断し、地下駐車場を出たらすぐに車を止めて、グリンデルワルト日本語観光協会に電話。
ユングフラウ地方の玄関口の村ラウターブルンネンで手頃な宿を探してもらう。候補の宿を探すから30分ほどしたらもう一度電話して欲しいとのことだった。
再び車を走らせ、マッター谷を下って行く。道沿いを気をつけて見ていると「空き室あり」を意味する「ZIMMER FRIE」の看板が出ているホテルが結構ある。な~んだ、これなら飛び込みでもいけたかな?
ヴィスプの町を抜けたところで路肩に車を止めて、再び電話。無事に今夜の宿を確保した。
ローヌ谷のポプラ並木の道を行く。ここも去年通ったなぁ。あの時はマッターホルンとの対面は叶わなかったが、今回は十二分に堪能できた。また、今回の旅のテーマソング「1/6の夢旅人・2002」をかけて、しばし喜びに浸る。
ガンペルのまちで右に折れてローヌ谷に別れを告げ、ブリュームアルプ連峰の山中へと道は登っていく。この先のゴッペンシュタインまで走り、そこから車ごと列車に乗る「カートレイン」でブリュームリスアルプ連峰を貫くトンネルを抜け、カンデルシュテークまで行く。
カートレイン乗り場は小さなインターチェンジのような作り。まず料金所。ここでチケットを買う。なぜかスイスハーフパスは使えなかった。
すぐのところに小さな売店とトイレがある。その先に車列用のスペースがあって、カートレインの最後部がこちらを向いている。あとは、係員の指示に従ってカートレインのなかへとハンドルを切るだけ。
まるっきり貨車だな・・・これは。
錆びついたような赤黒い車体。それとも、もともとこういう色なの?高いアーチ屋根に低い鉄柵。床は側溝の金網を並べたような感じで線路が透けて見える。
乗り込んだのは15台ほどで、我々は最後尾から2番目。カンデルシュテーク方面からのカートレインがホームに入って来ると、それと入れ替わりに何の合図も無しで走り出した。
トンネルの中を疾駆するカートレインは下手なジェットコースターより楽しい。断続的にガチャガチャと激しく揺れる貨車。暗闇のなか、トンネルの照明が線になって伸びていく。
窓を開ける。轟音と油のニオイが車内に入って来る。ハンドルを握りながら思うに任せぬ動きをされるもどかしさが妙に新鮮。突然、光の塊が迫ってきたと思ったら反対からの列車とすれ違う。揺れも音も最高潮に達する10秒間。
間もなくトンネルを出てカンデルシュテークに到着。これは速くて安くて楽しくて、しかも環境にもやさしい。なかなか優れたシステムだ。日本でもやれば良いのに。
シュピーツ城
ここからはカンデル川に沿ってツゥーン湖畔まで出る。そこから東に進めばインターラーケン、そして今日の宿泊地ラウターブルンネンまでは、ざっと80kmの道のり。
天気は曇り空だが、まだ明るいのでカンデルシュテークからすぐのエッシネン湖に立ち寄ろうとたくらむ。しかし、ガイドブックを見ると、既に湖畔へのリフトの運行時間を過ぎていたのでスルー。
トゥーン湖畔の街シュピーツに立ち寄ることにする。シュピーツの街並みを抜け、坂を下って湖畔に向かうと城が見えてきた。
シュピーツ城は湖畔の丘の上に建つ中世の城。
船着場に近い駐車場に車を止める。そこから階段を上っていくと、その可愛いらしいお城の建物の前にでた。
中庭には綺麗な花畑。蝶が舞っている。周囲を見下ろすと小さなぶどう畑とこじんまりとした城下町の屋根、さっき居た船着場とヨットハーバーが見えている。
雲は高く、秋の午後のよう澄み切ったな空。湖は波ひとつ無く静かに広がっている。そして、湖の向こうの青い山並みの上から白く顔を覗かせているのは、ひょっとしてアイガー? これは去年と比べれて俄然いい展開。念願のベルナー三山とのご対面が期待できそうだ。
石壁に挟まれた狭い階段を降りて湖畔に出る。2~3軒のレストランがあり、料理の匂いと談笑する声がする。
石垣で昼寝をしているネコを10分ほどからかってるうちに、停泊していた遊覧船で出港して行った。それを見送って車に戻る途中、白髪の親父がやってきて、頼みもしないのに写真を撮ってくれると言う。
顔が赤い。結構酔っていらしく、回らない舌で何やら言っている。さっきのレストランで呑んでいたのだろうか?奥さんが「あんた呑み過ぎよ」って感じで袖口を引っ張っている。
どうやら「Flock of Sheep(羊の群れ)」とデザインされたあこのTシャツがお気に入りらしい。西洋人の服装は比較的シンプルな柄が多いので、こういうデザインは物珍しいのだろう。
撮ってもらった写真は、城が写っているでも無く、山や湖が写っているでも無い、単なる2ショット。う~む、旅行の記録としては価値が低いな。どうせなら、この夫婦を撮った方が面白かろう。
湖畔をあとにして高台の道路にでる。やがて、トゥーン湖とシュピーツ城を見下ろす場所に出たので路肩の駐車場に車を止める。
路肩はベンチもある小さな公園になっている。
いつの間にか太陽は山陰に隠れて、夏の夕方が訪れた湖畔の小さなお城と町並み。そこではゆっくりと時間が流れているように見えた。
夕暮れのツゥーン湖畔を走ってインターラーケン方向へ。インターラーケン市街の手前で高速を降りる。
そこからラウターブルンネンまでは15分足らずだが、深い谷の底を走る道はみるみる日が暮れてきた。
その谷の間から見える白い山は恐らくメンヒだろう。去年は雲が厚くて、あそこに山があることすら判らなかった。そりゃ~、上に登ったからって見えるはず無かった訳だ。
今夜の宿は、小さなラウターブルンネン村の中程にあるホテル・シュッツェン。
シャレー風の建物で、大きなテラスレストランがある。建物のすみっこに申し訳なさそうにあるレセプションは、質素なで素朴なたたずまい。出てきたのも愛想が良い田舎のおばちゃんで、建物の雰囲気にマッチしている。
部屋は2階。建て増しを繰り返したのか、廊下は入り組んでいて段差もある。部屋も木材をふんだんに使った趣のある昔ながらのたたずまい。
窓からはシュタウフバッハの滝も雪山も見えないが、インターラーケン側の谷間と、壁のような斜面を行き来するヴェンゲンアルプ鉄道(WAB)が見える。
シャワーを浴びている間に周囲はすっかり暗くなっていた。夕食は1階のレストランで。少し寒そうだが、開放的なテラスの席に座る。
そして、ビールと、温かいファオンデュ・シュノーワーズをオーダー。たくさんの薬味やソースをつけて食べるスイス風しゃぶしゃぶといった感じ。
山陰は闇に沈んで、空と山の境目がだんだんとあいまいになっていく。小さなラウターブルンネンの町は車もほとんど通らない。静かな夜だ。半分ほど埋まったテラス席は、話し声や笑いが程よく聞こえ、それがかえって周囲の静けさを感じさせる。