コロッセオ
ローマの街は思いのほか小さい。我々を乗せたバスは、あっという間に目的地のコロッセオ近くに到着。路肩に止まった。
道の先には凱旋門が見え、樹々の梢の上からコロッセオが頭を覗かせている。さすがはローマを代表する観光地だけのことはあって、たくさんの人々で賑わっている。
快晴の空のもと、コロッセオはまるで地にある太陽であるかの様に巨大な弧を描いて迫ってきている。古代ローマ人は凄い。2000年前にこんな大きなモノを作ったのも凄いが、それが娯楽施設だったというのも凄い。
それが現在もこんな風に残っているというのもまた凄い。
・・・とは言え2000年という月日を経て表面はだいぶ荒れている様に見える。実際、一部は改修工事の足場が組まれている。外壁に見える無数の丸い穴は、そこに杭が打ち込まれていた跡だそうだ。
それと、コロッセオの外観をより印象的なものに演出している頂辺の段差。これはもともとの設計でもなく、かといって浸食や荒廃でもなくて、完成時には綺麗な円柱だったそうだ。
それを後年、古代ローマ人自身の手によって切り取られ、さっき訪れたサンピエトロ寺院の資材に充てられたというのだから、その発想には驚かされる。
観光客に混じって古代ローマ時代の戦士の扮装をした連中がいる。丸い盾と長い矛、鉄兜と鎧を付け、腕と膝下を露出した例のスタイル。彼等がポーズをとって、観光客と一緒に写真を撮ってくれる。ところが、彼らはしっかりと料金も取るのだ、とは現地ガイドさんの話。
コロッセオの露払いの様に寄り添うのが、コンスタンティヌス帝の凱旋門。パリのエトワール凱旋門と比べるとかなり小さい。大きなコロッセオのせいで、ますます小さく見える。
コンスタンティヌス帝の凱旋門から横に延びる緩やかな坂は、パラティーノの丘へと向かっている。この丘には、古代ローマ時代の神殿を中心にした都市の遺跡「フォロ・ロマーノ」がある。でも柵があってここからは入れない。有料なのだ。
神殿の柱らしいのが何本か頭をのぞかせているが、なにしろアチラは丘の上。よく見えない。
気が付くと集合時間になっていた。耳太郎から人数を数える声と、続いて「誰それサンどこですか?」と言う声が伝わってくる。呆れるほど便利なヤツだぜ耳太郎。野暮な感じは否めないが、添乗員さんや待たされるメンバーのストレスをかなり減らしているのは間違いない。
バスを待っている。この一帯は駐車禁止なので、どこかで時間を潰してからこちらに向かっているのだろうが、混んでいるのか、それとも元来ルーズなのか?照り返しの強い車道寄りを避け、パラティーノの丘と歩道を区切るフェンスの基礎部分に腰かけて待つ。ここは木陰になっていて、少しは暑さをしのげる。
すぐそばの歩道の上に、クラシックなバスを模した派手な塗装の移動販売車が止まっている。この手の路上での商行為はローマでは禁止されている・・・とは現地ガイドさんの話だが、実は結構あちこちで見かける。しかも、どれも同じような外観。違反でありながら、しっかりフランチャイズ展開しているらしい。ローマっ子はたくましい。
我慢できずに、ここでミネラルウォーターを買い求める。スーパーで売っている値段の倍近くするが、それだけの価値はある。見たところは市販のペットボトル飲料。しかし、中の様子は違う。どんな方法でこうなるのか分からないが、大きな透き通った氷がゴロゴロとたくさん入っている。凍らせたペットボトル飲料なら日本のゴルフ場なんかでも売ってはいるが、大概はガチガチに固まっているか、もし程々のところであっても、こんな透き通った氷が幾つもありはしないだろう。
ペットボトルをほてった顔に当てる。ホッとする清涼感。氷同士がカラカラとカルピスのCMの様な音をたてる。聴覚的にも涼しい。
トレビの泉
バスでほんの数分のところに次の目的地はあった。バス待ちの間に歩いていたら着けいたであろうそこは、近世の石造りの小さな建物のみやげ屋。
なかに入る。まさに日本人の日本人による日本人のためのみやげ屋。値札はすべて日本語。店長以下、スタッフ全員が日本人。
ベネチアングラスのアクセサリーでもどう?と物色してみるが、あこはあまり興味を示さない。上司に頼まれた「中田かトッティのオフィシャルユニフォーム」は売り切れだった。そのふたり以外のはいくつか残っているから、やはり、日本人にはあのふたりが人気らしい。
で、購入したのは、レモンリキュール。ビンに入った鮮やかな黄色をした液体で、アルコール度数は28%。冷凍庫でキンキンに冷やして飲む。アルコール度数が高いので冷凍庫でも凍らない。これがこの旅行みやげの第4号ということになる。
次の目的地はトレビの泉。
やはり手前でバスを降りて、中世の風情が色濃く残る細い道を進む。建物の壁も石だたみの道も、長い年月が染み込んだような深みのある色をしている。建物の一階部分には小さな店が並び、道が交わる少し広くなったところには、ワゴンに商品を並べた物売りがいたりする。そこにあるのは、ブランドには全く疎い私でも一目で偽物とわかるバッグや財布など。もっとも、商品を見るまでもなく、ハンティング帽の奥から視線を這わしている頬のこけた初老の男性のワゴンセールがブランド品であるはずもない。
路地を抜けると、トンネルから出たかの様に明るい空間に飛び込む。溢れる光と水の音、それと人々の賑やかな声。トレビの泉には、豊富な水だけでなく、光も人々のパワーも集まっている。
周囲を城壁のように建物が取り巻いて、この広場だけがぽっかりと穴が開いたようだ。緩やかなすり鉢状になった広場の北半分が大きな泉になっており、正面がトリトンとネプチューンを象った大きな彫刻。そこから幾重かになった大理石のテーブルは流れ落ちる水で一層輝いて見える。
泉のこっち側は、ステージを囲む客席のように段差になっていて、写真を撮る人々や、談笑する人々でごった返している。時折「ピピピーッ」と鋭い笛の音が響く。高いところにいる警官が、泉に乗り出したり、縁に登らんとしたりする人に警告を発しているのだ。スリが多いらしいので、そのせいもあるのかもしれない。
我々も故事にならって、泉にコインを投げてみることにする。正面は泉に近づくことが困難なほど混雑しているが、少し横にずれると案外空いている。ひとつ投げるとローマを再び訪れることが出来る。ふたつ投げると好きな人と結ばれるらしい。イタリア人らしい初老の男性が写真を撮ってくれるという。
「コイツもしかしてカメラ泥棒か?」
素直に好意に甘えればいいものを、警戒心も湧いてきて、あこの一眼ではなく私のコンパクトカメラを彼に渡す。どうせ盗られるなら、少しでも被害額が少ない方がいい。日本人の疑念に気付いたかどうかはわからないが、オジさんはカメラを縦にしたり横にしたりして、何枚かシャッターを切り、やがてカメラは無事に私の手元に戻ってきた。彼に礼を言い、あらぬ疑いをかけてしまったことに対して心のなかで詫び、また、ちょっぴり後悔しながらトレビの泉をあとにする。
ツアーの市内観光はこれで終了。バスでホテルに戻るか、ここから自由行動にするかを選ぶ。我々は後者を選択。さっきみやげ物屋で買ったレモンリキュールを添乗員スズキさんに預け、耳太郎を外してレッツゴー。
「さっきバスからの道の途中にカワイイ石鹸屋さんがあった」
スペイン階段へ行こう!と歩き出そうとしたとき、あこが言うのでそこへ向かう。その店はすぐに見つかった。間口が一間半ほど。奥行きが三間くらいで小さくL字に折れている。小さなショーウィンドーと店内の壁面一杯に並べられたカラフルな石鹸とそれらが放つ様々な香りがまるで花畑のよう。店もカワイイが店員さんもカワイイ。
ハーイ、ボンジョルノ~。
彫りが深く、黒く大きな瞳。筋の通った鼻。アップにした金髪が健康的。あまり高くない背と、ちょっと首を傾げながらが話す姿が親しみやすい感じ。しかも、声もキュートときてる。ハッキリ言って好みです・・・ハイ。「ローマの休日/21世紀版」はキミに決まりさ!(←ハシャギ過ぎ)
「これグッド・スメルでしょ?これはどう?」
素敵な彼女は、愚かな日本人に優しく接してくれる。この店はオリジナル石鹸の切り売りをしているのだ。
「石鹸よりもキミの匂いを嗅ぎたい!」(←アホ)
「いいや、俺の臭いを嗅いでくれ~!」(←国外退去)
と叫びたそうになるが、そんな素振りはみせず、逆に「キミのお気に入りはどれ?」などとカタコト英語で聞き返してみる。これとこれと・・・といくつかピックアップしてくれる彼女。それが、いわゆるカワイイ系ではなくて、ことごとく抽象的で微妙なデザインなのは、やはり民族性の違いなのだろうか?
結局、あこのセンスに任せて、それらと違う3つを選んで購入することに。それを気に留める様子はなく、彼女はそのカマボコ状の石鹸を手際良く厚さ2cm程に切り、ケースに入れてくれた。このままお別れするなんて寂しすぎる。
「素敵なセニョリーナ。私の妻と一緒に写真をお願いします」
とお願いしてみる。すると、私が思い描いた通りの弾ける笑顔で「モチロン」と快く応じてくれた。グラッツェ、グラッツェ!
ローマ悔いなしッ!
スペイン階段
石鹸屋からスペイン階段までは歩いて10分足らずだった。「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンがジェラートを食べるシーンはあまりにも有名だが、現在は階段での飲食は禁止になっている。
あまりにも有名・・・などと言いながら、実は「ローマの休日」をしっかりと観たことがなくて、この旅行の直前に、親からビデオを借りて一夜漬けしてきたのだが。
丘の上から流れ落ちる水が広がったような美しい階段。勾配と街と空間が絶妙にマッチしていて、通路としてだけでなく、階段にいることそのものが目的になってしまう・・・そんな場所。そして丘の上に、2本の鐘楼を持つトリニタ・ディ・モンティ教会。映画の中でアン王女と新聞記者ジョー・ブラッドリーを見下ろしていた50年前と変わらない同じ姿でそこに・・・ないッ!!
教会は工事中のシートでスッポリと包まれ全く見えない。
トホホ・・・。
そのシートには、トリニタ・ディ・モンティ教会の在りし日の姿が描かれていて、景観維持の努力をしている。しかし、この絵の妙なリアル加減が逆にトホホな感じ。視力0.5くらいだったなら、しばらく気が付かないくらいの出来栄えなのだ。
美しい大理石の階段には、思ったよりも人が少ない。ジェラート禁止なことに加え、教会が工事中のせいもあるかもしれないが、おそらく一番の理由はムチャクチャに暑いことだろう。西に傾きだした太陽をスペイン階段はまともに受けている。
一方、階段下のスペイン広場にある船の形をした噴水あたりは建物の影になっていて、暑さをしのぐ人々が吹きだまりみたいにたまっている。
ハリボテのトリニタ・ディ・モンティ教会をファインダーに入れずに、どうにか「らしい」写真をとろうと、あっちに行ったりこっちに来たりと、あこは画角に苦労している。スペイン広場方向を振れば教会は入らないが、なにしろ強烈な逆光。暑さでだんだん頭がボーっとしてくるふたり・・・。
スペイン階段をあとにし、さらに北へとバブイーノ通りを歩く。あまり幅のない道の両側には、高級ブランドの店が並んでいる。
どれも昔ながらの建物をそのままに、店の名前や看板などは入口の上や脇に小さく埋め込まれていて、一瞬そこが店であることに気がつかないくらい。この控え目具合は日本の商習慣にはないものだ。
日本と違うと言えば、今日は日曜日だというのに、これらの店がことごとく休みだということ。お陰で道はガラーンとしている。もっとも、彼らにしてみれば、日曜日だからそうしていると言うのだろうが。
ポポロ広場とイタリア軍
歩く人もまばらな静かな通りをさらに北へ歩くとポポロ広場に至る。
ここは中世ローマが城壁都市だった時代のローマの玄関口。広場の北側にあるポポロ門がそれ。両側には城壁が残っており、当時の様子を偲ばせる。
広場の中央にはオベリスクがあり、南を振り返れば可愛い双子のドーム教会が昔も今もローマを訪れた人を優しく迎えてくれる。
・・・と、まぁ普段ならこんなコメントになるのだろう。しかしこの時は、違う種類の賑わいをみせていた。
広場いっぱいに装甲車、砲車、軍用バイクが並び、迷彩色のテントが立ち、ヘリコプターまである。イタリア軍のフェスティバルが開催されているのだ。旅先で偶然こんな祭りとかに出会うっていうのは、なんだか得した気分になる。これも今がバカンスの時期だからだろう。
賑やかな音楽が流れるなか、笑顔の兵士がイタリア国旗を配っていたので貰いに行く。これが旅行みやげ第6弾。
イタリア軍兵士はみなスマートでなかなか格好いい。
しかし、イタリア軍って、古代はともかく近代になってからはめっぽう戦争には弱い印象。これは中世以降、ボルジア家が代表するように謀略と政略が中心だったからかな?と思ったりする。
もっとも、近代戦争においてはあのサイズの半島は、あまり有利な地形とは言えないのかも知れない。
テントの下では、子供達が顔に迷彩塗装を塗ってもらっている。何しろプロの仕事だから本格的。そういえば、広場のあちこちに、顔を緑色にした子供達が飛び回っている。あの子たち、あの顔のまま家やホテルまで帰るのだろうか?
今夜はオプショナルツアーのカンツォーネナイトの予定なので、影が長くなりだしたポポロ広場をあとにする。
タクシーは、ごちゃごちゃしたローマの市街地を避けるように、ちょっと遠回りだが、城壁の外の環状線を時計周りするルートをとった。右側には高い城壁。時々、水道橋の下をくぐる。緩やかなカーブと起伏の連続する道は意外に流れが速い。あっという間にホテルに到着した。
フロントで預かってもらっていると思ったレモンリキュールがテーブルに置かれている。恐らく、ホテルが気を効かせてくれたのだろう。部屋の電気も復活していた。でも、もう滞在中にポットはもちろん、カメラの充電器も恐ろしくて使えない。さすがに二度はまずいでしょう。
帰国後に読んだガイドブックによると、イタリアでは70ボルトの電源も一部に残っているとのこと。このロイヤルサンティーニは結構古そうなので、70ボルトだったのかも知れない。
カンツォーネ・ナイト
本オプショナルツアーの参加者は6名。我々とU夫妻とスリに遭ったK夫妻。このオプショナルツアーは、パリの時と違って1人からでも参加できる。
なぜなら、他のツアー客と一緒に移動するからだ。テルミニ駅の反対側まで行き、そこでバスに乗り込む。
「みなさん今晩は~!」
ガイドさんの声が妙に張り切って聞こえるのは、バスが日本人で満員だからだろう。我々グループのではあり得ないテンション。
バスでテベレ川沿いまで移動。そこでバスを降り、下町の裏路地のようなところを歩いてマーケットの並ぶ広場へ。
バス移動だと現在地がよくわからないが、おそらくこの広場は「フランス広場」だと思われる。
その一角にある一軒のレストランの中へ。
地下へと続く狭い階段を抜けると、地下倉庫のような部屋がいくつか並んでいて、テーブルが並べられている。石組みの壁とアーチ型に組まれた天井。
ところどころに、壁画らきしものがうっすらと見えている。これは古代ローマ時代の遺跡だそうだ。
こりゃ、すごい。
2千年の時を感じさせる室内はとてもいい雰囲気。石のアーチ天井は音響も良いに違いない。ここが遺跡の上にできたレストランなのか、それとも遺跡をこの場所に移築してきたのかは、バスの中で説明があったのだが、いまとなってはすっかり忘れてしまった。でも、本物の遺跡であることは間違いない。
かき鳴らすギターとアコーディオン、そしてよく響くテノールに続いて、入口から颯爽と現れたのは初老の男性2人組。刻まれた深いシワが頑固なイタリア親父っぽいギター&ボーカル。一方、メガネと薄くなった髪が温和な感じのアコーディオン。
「♪オ―ソ―レッミ―ヨォ――ッ!」
いい声だ。それに、この地下倉庫が生む絶妙なエコーは想像以上。部屋は拍手に包まれる。まだアルコールも入っていないのに歓声(奇声?)をあげて盛り上げる私。せっかくなら演奏する2人にも、ノって貰った方が良いに決まってる。幸い同じテーブルのU夫妻とK夫妻が付いてきてくれた。やや遅れて近くのテーブルの若夫婦も。
のっけから俄然盛り上がってきた。こーゆーのって、やっぱり最初が肝心。もし、心のどこかで遠慮しながら見ていたり、逆に、イタリア親父2人に「またシラケた日本人達が来た」なんて思われていたらつまらないもの。
さぁ乾杯しましょう。まずはビール。料理は、前菜、サラダ、魚料理、肉料理、パスタ、スープ、パスタ、ピザ、デザートまでつく、ちゃんとしたコース料理。でも、気取らない店の雰囲気のなか、気取らないテーブルのメンバーに囲まれ、そして時に陽気で時に情熱的なカンツォーネに包まれる。楽しく賑やかな食事にならなきゃウソでしょう。
「♪サンタァ―――ルチ―ア―」
第1部(?)が終了。喝采に送られて、イタリア親父ふたりは部屋を出ていった。どうやら、もう一つの他の部屋と交互にまわっているらしく、小さく拍手と歌声が響いてくる。結局、4~5回くらい行ったり来たりしていたが、こちらの部屋が大所帯のせいもあって滞在時間は長い。いなくなったな~と思ったら、じきに戻ってく感じ。
卓上のビールはすでになくなり、ワインボトルをオーダーする。ライブの幕のあいだは食事&歓談タイム。ライブ中は、手拍子に歓声、ときには一緒に唄ったりしてそれどころではないのだ。
「物凄い力で手を引っ張られたもんでコラーッと叫んだら、なんとウチのか~ちゃん!」
「そんな事言って、最初、アナタ声も出なかったじゃない!」
と再びスリに遭った話。しかし、ふたりのやり取りは何回聞いても面白い。アルコールも手伝って、話す側も聞く側も口が滑らかだ。
パリでの話も聞く。ムーランルージュには、U夫妻とK夫妻、それにN母娘の6人が参加したそうだ。ベタなツアーとは言え、やはり華やかなその舞台は、古き良きフランスの一面を垣間見れたそうだ。
賑やかなNさん(母)のそこでの服装は綺麗なドレス。聞いてみると、それがなんと35万円もする代物。せいぜい40万円(私の場合)のツアーに35万円の服を用意してくるとはビックリ。Nさんらしいと言えばそれまでだか、なかなか面白い。
服・・・と言えばもうひとつエピソードを聞いた。
猪苗代のK夫妻は、成田発のこのツアーのために、東京に住む娘さんの家に前泊したそうだ。この娘さん、話の雰囲気からは学生か、せいぜい社会人2~3年目の感じなのだが、海外旅行に行く両親のためにプレゼントを用意していたらしい。
親父さんには、ハンティングハット。テルミニ駅裏でスリに遭うくらい目立つ帽子は、愛娘からの贈り物だったのか・・・。奥さんは何をもらったのか?これが、Nさんに負けない様なシースルーのドレスだったそうだ。
「着てみましたか?まだ?今日着てくればよかったのに」
当然の意見だ。でも、恥ずかしい。それも当然の意見だ。このあたりが日本人の慎ましさであり、美徳でもある。K夫妻は明後日、日本に帰る。
「せめてホテルの部屋でも良いからそれを着て、写真の一枚でも撮って下さいよ」
果して、そうなったかは分からないが、そんな優しさを持った娘さんなら、それを着ることが出来なかった母親の心理を、察したり許したり出来るに違いない。
「仕事は大事。でも人生それだけじゃない。時にはこんな風に息抜きも必要」
そう言っていたのはU夫妻。人なつっこい笑顔のUさん(夫)。一見すると悠々自適の会社役員にも見えるし、中学の先生風でもあり、総務課長さんの様でもある。旅先の普段着姿では、その素性は分からない。夫婦は似てくるというが、奥さんも旦那さんソックリの優しい笑顔をする人だ。ただ言えるのは、このおふたり、旅慣れていること。最初にシャルルドゴール空港で会ったとき、その荷物の少なさに驚いた。旦那さんは機内持ち込みサイズとして売られているであろうキャリーケース。奥さんも小さなリュックひとつだけだったのだ。
それに引き換え、我々の荷物の多いこといったら・・・。
父親から借りたサムソナイトはフルサイズ。あこは、私の母親ので、ほんの一回りだけ小さい。外見がデカイだけでなく、中身も重い。成田空港出発時で、ふたりあわせて42kgもあったのだ。こりゃ規程違反だろ。
今回、少しお洒落をしてきたことは既に触れた。服の重さも馬鹿には出来ない。それに活躍不足の湯沸しポットとインスタント食品たち。まだある。スイスでの出番を待つトレッキングシューズと防寒着。これも重たい。最後は・・・実はこれが一番の原因かも知れないガイドブック。
地球の歩き方が4冊(パリ・ローマ・スイス・ドイツ)。「るるぶ」が2冊(ローマ・スイス)。簡単会話本が2冊(フランス語・ドイツ語)。ヨーロッパ鉄道時刻表、ミシュラン道路地図が2冊(スイス南西部・フランス北東部)。容積の割には比重が高くて、重たい。これじゃあ、みやげも買えない・・・って今日、レモンリキュール買っちまった!あれでプラス1kgか。そういえば、添乗員スズキさんが「帰りのフランクフルト空港は重量チェックも厳しい」と言っていたっけ。なんとかしなければ。
「♪ヤンモッヤンモッコッパヤンモヤ、フニックリフニックラフニックリフニックラ~」
親父ふたりが戻って来た。やっぱり生演奏の臨場感っていいもんだ。それも演奏者の体温が伝わって来そうな距離。ギターとアコーディオンとテノールが体の芯まで響く感じだ。
「♪セトハー、ヒグレテー、ユーヤーミコーナーミー」
聞き馴染みのあるメロディが流れてきた。日本人向けサービス曲らしい。時には、ノリが悪い日本人客に刺激を与える役目もあるのだろう。でも今日の面々は十二分に暖まっているので、ワイングラス片手に肩を揺らして瀬戸の花嫁を大合唱することとなった。
チップを払えば、リクエストに応じてくれる。もちろん、そのテーブルの脇でだ。でも、聞き覚えはあっても、曲名を知っているカンツォーネなんて数える程しかない。年輩の方々のなかには詳しい人が何人かいるらしく、演奏は途切れない。もっとも、リクエストとリクエストの間に、演者のセンスで適当に曲を盛り込んでいるようではあったが。
我々のテーブルの2本目のワインが残り半分になる頃には、どのテーブルも歌声と笑い声、手拍子に足拍子。イメージしていた「ローマの酒場」的な雰囲気が満ち溢れていた。なかなか良いもんだ。
そんななか、K夫妻が添乗員さんにチップを渡して何やら曲をリクエストしたもの、却下されてしまったらしい。
「新婚のお二人(我々のことに)と、愛の賛歌をお願いしたのだけれど・・・」
最初のほうで唄ったばかりなのでダメだったらしい。いえいえ、そのお気持ちだけで充分です。
大盛りあがりのうちにカンツォーネナイトは終了。往路は気にならなかったが、バスの待つ表通りまでの道は、この人数でなけれは怖い思いをしそうな暗い裏路地。そこを、手をつないで歩くU夫妻のあとについていく。
心地よい疲労感と余韻に包まれてバスのシートに身を沈める。
「すみません、停めて貰えますか?」
我々の後ろの席から若い女性の声がした。「大丈夫、大丈夫」と若い旦那さんは言うが、その言葉はか細く力ない。鼻から大きく何度も息を吐きだす様は、明らかに呑みすぎの印。だいたい「大丈夫」って言う酔っ払いに限って大丈夫じゃない場合が多い。
バスが道路脇に寄って止まった。
転げるように外に出た亭主。程無く車内に戻っては来たものの、状態が急激に改善するはずもない。実はこのバスにはトイレが備え付けられている。亭主はその中へ移動。バスは容赦なく走り出す。その狭い個室で、恐らく便器を抱えて苦しんでいるであろう彼は、さらにローマの街の坂とカーブに打ちのめされているに違いない。
嫁さんに話を聞くと、結構ワインを呑んでいたらしい。こんなになったのは初めてだとのこと。まぁ、店内のあの雰囲気だったらありえる。嫁さんに簡単に対処法を伝授。そして最後に「明日の朝、旦那をなじらないこと」を付け加える。男って、弱いくせにプライドだけは高い生きものだから。