エッフェル塔
第2日目。2005年7月1日金曜日。
「その服装では寒いですよ」
添乗員のスズキさんに指摘され、慌てて部屋へ着替えに戻る。朝のロビーには総勢14人が集結している。昨日、同じ便でパリ入りした我々を含めた6人に、ロンドンから来た本隊(?)のツアー客6名と添乗員スズキさんが合流。そこに現地ガイドさんが加わっている。
本隊のメンバーは、まず猪苗代からきた中年K夫妻。本人たちは「田舎モノ」と言っているが、身なりも綺麗だし高そうな時計をしている。訛りもない。いや・・・本当は少しはある。
次にN母娘。母親は賑やかなおばちゃん風で、娘は大人しい感じ。最後に新婚N夫妻。奥さんはとても美人。旦那の方はハッキリ言ってブ男。こんな風に書いては失礼かも知れないが、本人達も十二分に承知しているみたいなので許してくれるだろう。
市内観光に出発。大型バスに添乗員2人とツアー客6組みが適度に分散して座っている。窮屈でないし、ワイワイガヤガヤしないのがまたいい。賑やかなNさん(母)みたいな人も大勢いるのは勘弁してほしいが、逆に寂しいのでひとりぐらいはいて欲しいキャラだったりする。
昨晩の帰り道、タクシーでスーッと通ってしまった道。そこを今日は適度な混雑のなか、高い席から街並みを眺めつつ移動。
天気は曇。でも、大きな崩れはなさそうだとのこと。もっとも、パリの天気予報は当たらないので有名だそうで、的中率は20%にも満たないそうな。昨日の夕方から夜にかけての雨も予報にはなかったらしい。その予報も新聞・テレビによってまちまちだという話。結局、雨降りに傘がなくても平気なんだから、お天気なんか気にしないってのがパリっ子気質に違いない。
凱旋門が見えてきた。やっぱり大きい。周囲に高い建物がないので、その存在感が際立っている。バスがエトワール広場のロータリーへ入る。ロータリーの中へ入ってしまうと結構ゆっくりした流れで、端から見ているときほど危うい感じはしない。現地ガイドさんは、
「初めての人は何周もしてしまうんですよ。そのうちどっちに行くのか分からなくなっちゃうそうです」
とのたまうが、「そんなヤツおらんやろ~(by大木こだま師匠)」という印象。
ロータリーをグルグルと1周半するとシャンゼリゼ通りの緩やかな坂を下っていく。広い石だたみの車道と歩道。手入れの行き届いたプラタナスの並木。
通りに面した石造りの建物はどれも長い月日を経て、歴史ある重厚さを放っている。それらのバルコニーや窓には、決まって綺麗な花が飾られていて、通り全体に彩りを添えている。これぞ街の顔たる大通り。シャンゼリゼの前では、銀座も表参道もひれ伏すに違いない。
コンコルド広場からセーヌ川を渡ると、正面には大きなに向かって両手を広げるようにしている建物と、その中央奥には金色に光るドーム。アンヴァリットだ。
それを左に見ながらセーヌ川左岸を東へ進む。通りの木立や屋根の向こうに見え隠れしていたエッフェル塔がだんだんと大きく見えてくる。シャン・ド・マルス公園を横切る道にバスが停まり、表へとでる。
ジャケットを着ていても暑さはなく、むしろ涼しいくらい。アドバイスに従って着替えてきてよかった。ここでハンディタイプのイヤホンを手渡される。こいつがなかなかのすぐれモノで、添乗員さんが持つピンマイクの音声がツアー客のイヤホンに飛んでくるのだ。
これだと添乗員さんも説明に声を張り上げなくて良いし、こっちも、ズルズルと付いていかなくても良い。あえて苦言を呈するなら、その器材の名前がダサいこと。
「耳太郎」
コヤツ、耳から生まれたのか?
さて、美しく切りそろえられた植木の向こうから姿を表したのは、まぎれもなくエッフェル塔。落ち着きのある鉄色がかった茶に、スマートさと安定感を兼ね備えた気品のあるシルエット。それがシャンドマルス公園の美しい芝生のさき、曇空にそびえている。ひとことで言うなら「凛々しい」とでも表現しようか。おおッ、ここもまさにパリ!
芝生を走り回ったり、寝転んだりして、全身でパリを感じたい衝動にかられる。が、昨夜の雨で芝生が水を含んでいるうえに、犬のフンが多いので踏みとどまる。
ここでカメラマンが待ち構えていて集合写真。久々だな~こうゆうの。カメラマンのおっちゃん曰く「煎餅じゃあないけれど、丁寧に一枚ずつ手焼きしている」とのことで一枚1,500円。それはいいとして、
「イチ足すイチは?ニーッ!」
は今どきないよね・・・オモロイけど。きっと、このおっちゃん、来る人皆にこのセールストーク&冗談言ってるんだろうな。澱みない一連のトークが、それを雄弁に語っている。
とか何とか言いながらも、せっかくのツアー旅行なのでこれを買い求める。翌日の晩には部屋に届いた。
なお、あこによるとこの写真、暗めの曇空の割りには、顔もエッフェル塔の露出・発色とも良いので、ホントに手焼きなのだろうとのことであった。
バスはセーヌ川岸を東へ。アンヴァリッド、オルセー美術館、コンシュルジュリーなどを車窓から眺める。
セーヌ川沿いのアンダーパスを跨ぐ道路脇にある金色のモニュメントに花を手向ける人々が見える。
このアンダーパスは、ダイアナ妃が亡くなった場所で、今でも彼女を偲んで訪れる人が絶えないそうだ。
それに今日は月命日にあたるので「いつもより追悼に訪れる人の姿が多いようだ」とのことだった。
このダイアナ人気に比べるとパリっ子達のカミラ婦人への不人気ぶりは相当らしく、ファッションから言動まで何かと悪口のタネとなっている・・・とは現地ガイドさんの説明。
まあ、日本でも人気はないね。あの人は。
そんな話題で盛り上がる車中。バスはヴァンドール広場から再びオベリスクを見ながらコンコルド広場を抜け、マドレーヌ広場を経てオペラ座の前を曲がる。
オペラ大通り
さて、先ほどバスに乗る直前「お手洗いはないか?」とN夫妻が現地ガイドさんに問掛けているのがイヤホンから聞こえてきた。
耳太郎め、恐るべき感度だな。
発信器を付けた現地ガイドさんの周囲では、いつもの調子でバカ話はできん。これからコイツは「地獄耳太郎」と呼ぼう。
ところでトイレだが、パリの公園や街角には公衆トイレはほとんど見当たらない。メトロの駅にもないようだった。だから、飲食店やホテルなどで済ますしかない。
次のトイレチャンスは、このあと免税店に寄ったときになるとのこと。ツアー途中に免税店でお買い物ってのがイマドキ流行るのかは疑問だが、トイレの少ないパリではありがたいとも言える。
もっとも「観光もしたい買い物もしたい」という人には時間が省けていいのかもしれない。
しかし、同行メンバーにはどうやらそれに当てはまる人は少ないらしく、オペラ大通り沿いにある免税店へと連れていかれた一行は、5分と経たないうちに退屈そうに店内を徘徊しだした。我々も、あと30分もここにいるのは苦痛なので、旅行会社の思惑とは別に、そそくさと店外へでることにする。
道の両側にはオスマン様式のアパルトマンが整然と連なって、通り全体をとても素敵な空間にみせている。
オスマン様式とは、オスマンによるパリ大改造の際に盛んに造られた建築様式。その特徴は、高さの揃った7階建てくらいの建物で、緩急2段階の傾斜をしたトタン屋根を持っている。ここオペラ大通りはオスマン様式の建物が美しい場所のひとつだそうだ。
突き当たりに緑色のベレー帽をかぶったように見えているのがオペラ座。
さあ、歩きだそう。取りあえずオペラ座方向へ。実は今回、颯爽とパリの街を闊歩したいと思い、ジャケットやらシャツやら靴やらを新調。今日はそれらを身に付けている。つまり、柄にもなくオシャレをしてきたわけで。
これが予想外にウキウキとした心持ちにさせる。他人にどう見えているかはともかく、気分はすっかりパリジャン。齢34にして、女の子がオシャレして街歩きする気持がなんとなく解った気がした。
オペラ座通りを斜めに横切る道に入ってすぐのところに、カワイイ看板のカフェを発見。あこが好きそうなやつだ。
ウシのキャラクターに「ラ・フェルム」の文字。小さなカウンターと厨房に若い女性がひとり居て、冷蔵ケースにはオリジナルのお菓子やサンドイッチやジュースなどが並んでいる。
私はペットボトル入りのジュースを。あこは「カワイイ」という理由だけで、店のキャラクターがプリントされた小さなグラスに入りの謎の赤い液体を選択。奥に向かって意外に広い店内。その裏通りに面した窓際のカウンター席につく。
他に客の姿はないのでくつろげる。
あこが選んだ液体は、買った直後に「もしや?」とは思ったが、やはり赤ワインだった。
よく考えれば、たった50mlたらずで2ユーロもするのだから、ただのジュースであるはずがなかったのだ。静かな店内で、つまみも無しに昼間からワインを飲む。
アルコールも回ってきて少しイイ気持ちになったところで、集合時間まで10分を切ったので、裏口から店の外へでる。
オペラ座まで行って帰って来るのは時間的に不可能なので、道中のショーウィンドウをのぞきつつ、バスへと戻る。
集合時間を過ぎても、バスの中にU夫妻の姿はない。5分が経ち、添乗員さんが心配そうな顔色になりだした頃、息を切らしながら戻ってきたおふたり。オペラ座まで行ってきたら、予想より時間がかかってしまったらしい。 ここまできたら、やはり免税店だけではなく、オペラ座までいってみたいと思うのが人情ってもの。
我々も「ラ・フェルム」に立ち寄らなかったら、きっと同様に息を切らすこととなったであろう。
ノートルダム寺院
添乗員スズキさんはここから別行動。ムーランルージュの個別手配に向かうことになる。
もともと「ムーランルージュのディナーショー」はオプショナルツアーが設定されているのだが、最低催行人数は10から。バスに全員が揃ったところで希望者を募ると、U夫妻とN母娘の4人だけだった。
そりゃそうだ。参加率100%でも12人しかいないんだから。
移動やその他にはちょうど良い人数だが、思わぬところに落とし穴が潜んでいたらしい。U夫妻は翌日のオプショナルツアーの「モンサンミッシェル日帰り観光」も候補に入れていたらしいが、どうやら諦めることになりそうだ。
バスが走り出した。次の目的地はノートルダム寺院。パリ発祥の地「シテ島」に建つ、聖母マリアを祀った大聖堂だ。
シテ島の周辺はバスの駐車が禁止なので、シテ島南側のソルボンヌ大学のあたりでバスを降り、そこから歩くことになった。下町風の街並みを見ながら、北に向かって狭い歩道を列になって歩く。でも耳太郎があるので、たとえ赤信号で列が分断されてもはぐれる心配はない。
耳太郎、頼もしいヤツだ。
直角に交わる幅3mほどの狭い道がある。道の真ん中に向かって僅かにV字に傾斜がついている。ここはパリに残る最も古い通りのひとつ。真ん中の溝は、かつて道に糞尿が流されていた頃の名残とのこと。
漂う異臭、飛び交うハエ、はびこる伝染病。ときのセーヌ県知事オスマンによる大改造が行なわれる以前のパリは、急速な人口増加のために街全体がこんなひどい有り様だったのだ。誰もが何とかせねばと思いながら、誰も手を付けられなかったパリの都市衛生問題。これを強引にパリの街をぶっこわして実現したオスマン。
彼の行動力は単なる県知事としての情熱とは、明らかに異なっている。それは怒りか哀しみか?それとも権力を背景に、街を媒体にした自己顕示だったのか?
シテ島とを繋ぐ橋にさしかかると、2本の四角い塔が1本尖った塔を従えたゴシック様式の建物が右手に見えてくる。ノートルダム寺院だ。その向かいになる左手には、どっしりとしたパリ警視庁。こちらはロマネスク様式というのだろうか?
寺院西側の正面広場は人・人・人。塔を見上げる人、写真を撮る人。それに加え礼拝堂に入るための列が出来ている。塔に昇るのはこれと別の列で、さらに長い行列。建物中央には細かなレース状の装飾が施された「バラ窓」が見える。天を突く左右対象に配された2本の塔が力強くも華やかで美しい。暗黒時代と呼ばれた中世フランスの代表的建築物。暗黒だからこそ、人々は神や宗教にすがるのかもしれない。
広場中央付近に、地面を見つめたり写真を撮ったりしている人だかり。そこには八角形のプレートが埋め込まれていて、人々の興味はそこに注がれている。
このプレートは、パリの中心を示すもの。パリからの距離はここを起点にしているのだそうだ。東京日本橋にある「道路元標」のようなものだと思えばよいのだろう。
パリの中心は、凱旋門でもシャンゼリゼでも、もちろんエッフェル塔でもなくて、パリ発祥の地シテ島なのだと改めて納得する。
「はい、この人スリですから気を付けて下さい。あ、この人もスリですね」
耳太郎から現地ガイドさんの緊急伝が入る。ガイドさんが指す「この人」は一目瞭然。何に使うのか不明だが、手に小さなチラシの様な紙切れを持ち、行列の付近でウロウロしている青年(少年?)なのだが、写真を撮られている訳でもないのにノートルダム寺院に背を向けていることが、周囲の観光客とは明らかに違う。
しっかりしろパリ警視庁!
こんなに分かりやすいスリを放っといてはいかん。しかも、ここはパリ警視庁の目と鼻の先じゃないか。市内にパトカーの姿は頻繁にみかけるんだけどねぇ。
パトカーといえば、サイレンの「パーフーパーフー」って音。すわ事件か!と思わせる緊張感が全く伝わってこない。それともパリっ子には違って聞こえているのだろうか?
それとも全然別の理由、例えば、華の都パリでは聞く者に緊張感を与える様なサイレン自体が遠慮されているのかも知れない・・・などと考えたが、どうだろう?
礼拝堂の中は薄暗く、窓からの自然光とローソクの灯りが頼り。自然光・・・それは4方の美しいステンドグラスを透かして堂内へ入ってくる。ステンドグラスは目を奪われる美しさ。青紫に光を放つ様は、荘厳でもあり繊細でもあり、妖艶ですらある。
なかなか適当な表現が見当たらない。簡単に言葉に置き換えられない美しさ・・・それはすなわち神の世界の美しさ、神のみがなせる業(わざ)だと言うことなのか?
人間はただ地面と同じ高さの薄暗い床にあって、ステンドグラスが放つ神の世界からの光を仰ぎ見る。そしてひたすら祈り、ロウソクに火を灯し、神の光に近づこうとするのだ。
聖堂内はあたかも神の世界と人間の世界とを結ぶ異空間のよう。それは芸術的ではあるが、所詮全て人間の手によって造られた演出にしか過ぎないのに。
こうしてみると宗教は半分詐欺みたいなもの・・・イヤイヤ、信じさせる者と信じる者との強い信念で成り立っているのだな、と思う。その宗教が対立や戦争の原因になり、それが何千年も前から幾度となく繰り返されているなんて不幸なことだ。
再び人間の世界・・・聖堂の外へと戻ってきた。
ちょうどお昼の12時になって塔の鐘が鳴り始めた。鳴り響く鐘の音をききながら、そのまま歩いて寺院の北側に回る。さっき聖堂内でみたステンドグラスは、外から見るとやはり煤けた壁に施された「ばら窓」。内側から見るのと全く別の印象。神の世界と人間世界は、壁一枚隔てただけでもこんなに違うのだ・・・自分の中で妙に納得する。
ノートルダム寺院の北側にある小さなみやげ屋に立ち寄る。
この買い物タイムがまた曰くつきで、現地ガイドさんが「内緒のハナシですが・・・」と打ち明けてくれたのはこんな内容。
パリのガイド協会(の様なモノ)があって、会員達でパリの風景を絵に描いている。それがこの店で売られていて、ガイドには、ここへ立ち寄ることが決められている。「実は私も描いている」そうだが、こんな話は耳太郎を介してでないと出来ないに違いない。
もし、以前のツアーのように旗を片手にハンドマイクでこんなことをしゃべったなら、これは大問題になるだろう。耳太郎は人に本音をしゃべらせる不思議な力を持っている。
ノートルダム寺院の東側の広場は、西側広場とはうって変わって人も少なく、花壇やベンチもあったりとゆったりできる。西側は地面が石畳だったが、こちらは土。それに小さな並木もあって、スズメやハトなどが餌をついばむ姿が見える。
ちょうど小雨が降ってきたのでこの下で雨宿りしながら、裏ノートルダムを鑑賞する。
それは立体的かつ複雑な造型の金属的な印象で、放射円錐状のドームの頂点からは、振り上げた剣のように細く鋭い塔が伸びている。
表側からみたのと同じ建物とは思えない全く異なった構造だが、その姿は「裏」と言っては申し訳ないほど優美で荘厳な感じ。