芦苗岩
船上での3時間余りをほとんど立ちっぱなしで過ごした我々は、心地良い疲労感で移動の車の中で軽い眠りにつく。やや慣れてきた車外のクラクションは眠気には勝てない。
やがて車は桂林市内の「芦苗岩」という鍾乳洞に到着。鍾乳洞と言えば、10年位前に岩手県の龍泉洞に行ったことがある。しかし、ここは演出方法の違いから、洞内の印象は全く別のものだった。日本なら黄色系・青系などの照明を、それぞれ単色で当てているのが一般的だと思うが、ここでは虹色のカクテル光線で洞内が照らされている。個人的には日本風の方が冷たい雰囲気がして鍾乳洞っぽいと思う。
洞内は結構な混雑。団体客も多い。我々のすぐ前にも日本人のツアー客がいて、現地の中国人ガイドが様々な形をした鍾乳石を指差しながら一生懸命解説している。
「あのヒト上手だから、しっかり聞くといいね~」
と李さん。アナタはしっかり仕事しなさいよ。なだらかな表面をした幅の広い3段の滝のような形の大岩を前にして、そのガイドが声を張り上げる。
「コノ岩、日本の有名な観光地に似てる言われてマス。分かります?」
「・・・?」
「フクロダタキ。知らないデスカ?フクロダタキね」
「袋叩き?なんやねん?」
関西人と思しきこの集団。洞内は暗くて表情は分からないが、ガイドとツアー客の間に微妙な空気が漂う。初めは何のことか分からなかったが、やがてピンッと来た私。沈黙にたえきれずに集団の後ろから声を掛けてしまった。
「袋田の滝でしょ?茨城県の」
無言のままに一斉に振り向き、暗闇で私を見つめる集団。ちょっとちょっと!貴方たち関西人でしょ?ボケるかツッコミかしなさいよ!リアクションの薄いんじゃないの?何だよ、せっかく教えてあげたのに。西日本では「袋田の滝」はあまり知られていないのだろう。
鍾乳洞を出ると、屋台の土産物屋が並んでいる。ここでも例の大合唱。
「シェンエン!千円ッ!」
ここで目を引いたのはシュールな絵柄のプリントTシャツ。3枚でシェンエン。店頭に吊るされているその柄は「毛沢東の顔」や「リアルで怖いパンダの姿」など。ジョークなのかマジなの分からないその微妙なセンスには戸惑うばかりだ。
夕食は桂林の街外れにあるレストラン。大皿に盛られたメインディッシュは「蒸し焼き肉の中華風ソースあえ」と言った感じのシロモノ。ちょっと癖があるがあっさりした肉に、濃い目のソースで味付けをしている。かなり大きめに切られた肉にかじりつくと、体のどこのパーツか分からない骨がゴロゴロ出てくる。
「コレ、たぬきネ~」
ホント?ど~も、李さんの言うことは、どこまで信じて良いか分からない。「タヌキ一匹丸ごと」ではないので、見た目では何の肉なのかは分からない。少なくとも、普通の家畜と違うことは感じ取れる。そういえば、中国南方エリアではタヌキ以外にも、アライグマやハクビシンなども食卓にのぼると聞いたことがある。
再び広州へ
出発口で李さんに別れを告げ、保安検査場へ。しかし、我々が乗るはずの中国南方航空便は出発予定時刻になっても搭乗口番号の案内さえない。
場内アナウンスは中国語のみで聞き取ることは出来ず、頼りはモニターに映し出された発着案内の「便名」のみ。それが下から上にスクロールして行くのを眺めるだけの不安な時間が続いた。
結局、飛行機は約1時間遅れで出発。機内では再びぬるい「くるみジュース」の洗礼を受ける。T朗は懲りずにまたもや常温サイダーを選択。
広州空港で、迎えに来ていた黄さんにピックアップしてもらい、ホテルに入ったのは午後11時過ぎだった。
翌朝の午前中、今回のツアー初のフリータイム。とりあえず広いホテル内を散策。ブランドショップを始め様々な店が入っている。その中に本屋を見つけ週刊誌を立ち読みする。写真を見て、断片的に漢字をなぞるだけでは内容は理解できないが、反日的な記事が多いのだけは分かる。
「先に部屋に戻ってるぞ~」
T朗の声に「あ~」と返事はしたものの、本に集中していて言葉の意味は頭に入っていなかった。気が付けばT朗の姿は無い。先に部屋に帰ったのか。まあ、いいや。とその時は思ったのだが…。
困った…。
部屋のキーが無い。部屋番号もハッキリとは覚えていない。
ともかく記憶をたどってエレベーターに乗って14階へ行く。まずは1472号室をノック。だが返事はない。どうやら違う部屋のようだ。続いて1427号室へ向かうが、やはり返事はない。うーむ…。
そこへ各フロアのエレベーターの所に常駐するホテル係員が近寄ってきた。このホテルには各階のエレベーター前に案内要員なのか保安要員なのか、1名ずつ配置されている。
部屋番号か分からない…と伝えようにも、彼女は日本語も英語もほとんど話せない様子。仕方なく、私は持っていた紙とペンで筆談に挑戦する。
「我不解 部屋番号 1472?」
単語や文法的にはともかく、意図は伝わったらしい。名前を聞かれ、廊下に備え付けの電話でフロントに問い合わせをしてくれた。返事がくるまで随分と時間がかかったが、どうにか部屋番号が判明。
正解は1742号室。まるっきり記憶違いではなかったが、そもそもフロアが間違っていたのだった。
黄さんの迎えの車で空港へ。道中の日本人向けの土産物屋で買い物をしなかったので、まだみやげらしい物を何も買っていなかった私。どうせなら中国人民が普通に買うようなモノが欲しい。空港の中に入ってしまえば難しいと思い、チェックインの後、私は再び空港の建物の外へと向かった。
建物の軒下にお茶やタバコなどを扱う屋台を見つけた。ここでも午前中に成功(?)した筆談に挑む。
「我要広州産茶」
どうやらこれも通じたらしい。店のオバちゃんが差し出したのは「桂花茶」というキンモクセイのお茶で、1袋=約90円。これを15個ほど買って家と友人への土産とした。実に安上がりだ。
JAS機は広州空港を飛び立った。
帰りも関空経由。関空では国内線乗り継ぎの時間までの余裕はどれくらいだろう?両替をする時間はあるだろうか?2日前に広州空港で1万円を出して両替した中国人民元は、まだその大部分が財布の中に残っている。
しかし…。
中国「元」は日本国内では日本「円」に両替できない。そのことを知ったのは関空に着いてからだった。
(中国の旅(1) 完)