馬犬牛豚
ホテルから無錫市街のマッサージ店まではタクシーで移動。30分位の道のりを寧々が同行してくれる。タクシーは後部座席と運転席がアクリル板で完全に仕切られ、お金のやり取りをするための指先がやっと通る位の隙間しかない。
店では、足と背中が中心のマッサージと、なぜかシャンプーがついて1時間位。シャンプーは頭(頭皮?)のマッサージってことだろう。やはり卑猥なマッサージ店=中国的な風俗床屋では無かった・・・念のため。
その間、寧々は店の中で待っている。本来、リラックスするはずのマッサージなのだが、なんだか気が抜けない。鏡の中には椅子に座って雑誌を読む寧々の姿。こっちが見ていることには気付かないのだろう。足を交互にプラプラと動かしている。まだ、あどけない感じが残る女性だ。
帰路、走る車も減った広い道をタクシーはホテルへと向かって疾走する。その車内で、寧々と色々な話をした。興味深かったのは「中国の女性が求める理想の亭主」について。
「日本の女性は結婚相手に3つの事を求めるそうれすネ?」
「3つの事?あ~三高ね。高身長、高学歴、高収入。最近はあんまり聞かないけどね」と三低の私。
一方、「中国では結婚相手の男性に4つのコトあります」 と寧々が話してくれたのが以下。
・馬の様に優しくて
・犬の様に従順で
・牛の様に良く働いて
・豚の様に何でも食べる
最初の3つは分かるが豚の様に・・・は強烈な感じ。
「中国では、結婚するには料理とても大切テス。ても、とても大変。」
「寧々は料理は得意なの?」(←図々しく呼び捨て)
「あんまりれす。日本人女性は料理が得意で無くても良いそうれすね?」
「そうかなあ?」
ホテルに戻り、一杯やりにT朗とバーへ向かう。入口にボーイがいて、我々をテーブルへと案内する。ところがこのバー、中は結構広いのだが、とにかく照明が暗い。客が座っているテーブルにはローソクがひとつ灯っているだけ。他に照明らしきものはほとんどなく、ウェイターがどこにいるのかも良く見えない。離れたところにあるカラオケの画面が青白く光を放っている。
加えて4つ星ホテルでありながら、ウェイターが全く英語が通じない。メニューを持ってくる様に頼んでも通じない。水割りを頼んでも分からない。結局、通じたのは「ビール」だけ。食べ物もお通しのナッツだけとなってしまった。
太湖
1月10日。バスは霧雨の降る無錫の街を抜け、太湖へと向かって走る。車内にはマイクを握る江さんが唄う「無錫旅情」が流れている。
太湖は中国で4番目に大きな淡水湖で、面積は琵琶湖の約3倍の約2200k㎡。水産資源に恵まれた太湖では、淡水ガニが豊富に捕れ、その多くが上海へ出荷され、高級料理食材「上海ガニ」としてテーブルに並ぶのだそうだ。
船に乗り換えて太湖遊覧。あいにくの天候もあって対岸は全く見えず、遠く微かに山影が見えるだけだ。でも、そのことで逆に太湖の大きさが実感させられる。
まるで海の様に大きな太湖だが波は穏やかで、2人乗りくらいの小さな漁船が静かに湖面に浮かんでいる。恐らく真珠の養殖であろうと思われる水面に突き出した棒が、広い範囲にわたって剣山のようにひろがっている。
太湖遊覧のあとは、バスは真珠製品の土産物屋に寄る。小さな体育館ほどのサイズの建物。我々が建物内に入ると、大きな観音開きの扉はバタンと閉じられた。「買うまでは帰さない」という決意の現れか?
日本でよく見る真珠は直径5~10mm位の丸いものだが、太湖のそれは芯(核?)のない不定形で長さが5mmほど。大き目の白米といった感じだ。イヤリングやネックレスといったアクセサリー関係はもちろんだが、その小さな真珠をつなぎ合わせて、動物や植物やその他、色々な物をかたどった装飾品が多く、興味深い。買わないけど。
上海へ
高速道路で上海へと向かう。市街地を過ぎると見渡す限り広がる大地となる。車窓を流れていく冬の雨に煙った風景の向うには、ところどころ小さな集落が見える。
それらの集落のはずれには、決まって大きな穴が掘られていて、大量のゴミが捨てられているのが見える。広大な大地を持つ中国では、ゴミ処理の意識と仕組みのレベルが高いとは言えないようだ。
日本風に言うところのサービスエリアで休憩。何か大きな建物があるが、人の気配も無く入ることも出来ない。トイレと小さな屋台の様な売店がある。ふと見ると、寧々がその小さな売店で両手いっぱいに抱えるほどの何かを買っている。
「コレ、皆サンに頂いたお礼れす」
小さなお茶のパックがみんなに配られる。結構みんな大喜びして、口々に賞賛の声をあげている。バスの出発直前に売店を覗きこんでみると、お茶パックは1個=15円くらい。やはり昨日の金額が多過ぎってことで寧々の心からの返礼品なのか?それとも中華民族のしたたかな算盤尽くの行動なのか?
複雑な気持ちで隣に座る寧々の可愛らしい横顔を見つめる私であった。
やがて、地平線の向うに見えてきたビル群は人口約1400万人の中国最大の都市「上海」。高速道路の料金所に大きな横断幕が掲げられている。
「歓迎光臨同士!」
上海市内に入るとバスは一旦ホテルへと立ち寄り、ここで現地添乗員の李さんという男性が加わる。マイクを握る彼が言うには「運転手が上海の道を知らないから」道案内も兼ねて乗ったとのこと。これで添乗員は寧々、江さん、李さんの合計3人になった。
再びバスは走り出す。マイクを握る李さんは、時折、運転手に道を教えながら、上海の街や文化、観光などについて流暢な日本語で調子良くしゃべり続けている。
「上海のおみやげ色々あるけどニセモノ結構多いネ。ぶらんど品のニセモノ買っちゃだめです。特に日本人!みなさんのコトね。お金持ち多いからダマされやすい。ハッハッハッ!」
彼の話が一通り終わると、マイクを受け取った寧々がうつむきながら小さな声で口を開いた。
「これから皆サンお買い物の時間れすね。これから行くトコロぶらんど品のコピーと中国のおみやげ品いっぱいあります」
バス前方には、寄せ集め添乗員軍団の放つ微妙な雰囲気が漂っている。これから行く場所を李さんが分かっていなかったのか?それとも知ってて口を滑らせたのか?はたまた「ブランド品のコピー」と馬鹿正直に口走った寧々が悪いのか?
一方、客席からは失笑とツッコミ。怒り出したりする人が1人もいないあたり、この2日間でみんな中国の文化と中国人民の生態を理解してきたってことかもしれない。旅は人を成長させるのだ。
やはり店内では、みんな見て回るだけで実際に買い物をする人はほとんどいない。でも、初めからニセモノと解っているだけ良心的とも言える。私が店員に勧められた「ロレッ○ス」の時計は5万円。「○ッキーマウス」のキャラクター時計は3000円。どちらも透明のフィルムに包まれて、無造作に壁ぎわに吊り下げられていた。
続いてバスは上海郊外にある翡翠(ヒスイ)工場へ。
ここでは翡翠の大きな固まりが大きな回転ノコギリで切断されるところから、ノミやハンマーで形を整え、拡大鏡と針を使用して細かな作業するところまでの工程を、狭い工場の通路を通りながら見る事が出来る。もちろん、完成品も販売している。
このあたりは、あまり治安が良くないから敷地の外には出ない様に・・・と言われていたが、工場見学にも飽き、周辺を歩き回ってみる。運河の脇に商店が並び、周囲には住宅地が密集している。高い建物は少なく、街中の様な喧騒もない。
豫園商場
豫園は旧上海城の北東部に位置する明の時代に建設された中国独特の江南式庭園で、面積は約2万㎡。
回廊や石畳の上を歩きつつ、水と石、石の彫刻などで構成された空間を眺める。回廊は道幅がせまく、歩くに連れて我々集団は細く長く伸びていく。
T朗と私は、集団の最後尾という本来の位置を確保したは良いが、後からついてくる中国人グループのけたたましい話し声のために李さんの説明が全く聞き取れない。
豫園の周囲に広がる街が豫園商場。多くの店が並ぶ中を多くの人々が行き交い活気に溢れている。伝統的な中国様式の建物が立ち並ぶ街並みは、古き時代の上海を想像させる。
玉仏寺
上海の街の中心部の近く、上海駅から西へ約1.5kmあたりにある寺。1882年、清の時代に仏教僧「慧根」によって建立された禅宗寺院。この慧根が修行でミャンマーまで行き、持ち帰った白玉製の仏像を安置するために造られたものだとのこと。
これが玉仏寺の名前の由来だそうな。
さて、夕方からは「上海の夜景+上海ガニ付の夕食+上海雑技団鑑賞」というオプショナルツアーが用意されていた。しかし、我々2人はコレには不参加。雑技団はテレビでも見れるし、カニにもあまりこだわりがなく、またツアー代金も2万円近くと高額であったことが理由。
ところが今回は、我々を除いて全員参加であった。
それもそのはずで、上海へ行ったら外灘(バンド)の夜景を見ずには帰れない・・・ってのが近年の常識。だが当時は、それほど騒がれていなかった(ような気がする)し、それに今回の旅行も我々は全く予習をしておらず、その事を知らなかったのだ。
上海観光をしていながら、外灘の写真が1枚もない(モチロン行ってもいない)のは稀有な例に違いない。寧々も、無知な我々にもっとプッシュしてくれれば良かったのに・・・と人のせいにしてみたものの今となっては空しい感じ。
添乗員は全員オプショナルツアーに同行するというので、まさかの現地解散。無事にホテルに着いたことを就寝前には部屋へ連絡する様に・・・と寧々。タクシーを拾いホテルへと向かう。運転手が英語で聞いてくる。
「日本人か?」
イエスと答えると、我々でさえほぼ完璧に理解可能な、かなりブロークンな英語で「トーキョーがどうたら」とか「寿司がこうらた」とか話し出す。その様子がとても一生懸命で好感が持てる。
タクシーは高速道路へと入った。彼の好みなのか、それとも日本人向けのサービスなのか、カーステレオからは小さな音量で鄧麗君(テレサ・テン)の曲が流れている。
「つぐない」に続いて「別れの予感」と続き(いずれも中国語版)、私が小さな声でうる覚えの歌詞を日本語で口ずさむと、さらにボリウムを上げて運転手の彼も唄い出す。
やがて車内は大音量の中国語と日本語での「ときの流れに身をまかせ」の大合唱となった。一方、タクシーは渋滞の高速上を、周囲の流れに身を任せないアグレッシブな走りを続けていた。追越車線、走行車線、路側帯しかないが車列は4つ出来ている。そこをタクシーは右へ左へグイグイ割り込みながら進んでいる。
帰国
最終日、午前中はフリー。ホテル周辺の街を散策することにする。大きな表通りにはデパートやレストラン、新しいオフィスビル、歴史を感じさせるレンガや石造りの建物。
一歩脇道に入れば、屋台や小さなアパートなどが、ひと一人しか通れない様な狭い道の奥へと続いている。近代的、庶民的、前時代的な街並みが渾然一体としている。
ホテルに迎えのバスが来た。
車内からホテルの車寄せを眺めると、昨日の夕食の時にレストランで遭遇した騒がしいオバさんの姿が見える。背中には派手なリュックサックを背負い、そこにはホテルの土産物店で購入したと思しき掛軸が10本もくくり付けられており、さながら二宮金次郎のよう。
あ~あ、きっと、1本なら2万円、10本だと5万円とか言われて買っちまったんだな。
私の土産は、お菓子やカップラーメンや缶詰め、雑誌。それに、歯磨きや芳香剤などの日用品。午前中に市内のスーパーで買ったモノばかり。
なかでもお気に入りは「水とりカバさん」という除湿剤。どこかで聞いたようなインチキ臭いネーミングと、イカさないパッケージデザインに心を奪われたのだ。
飛行機は薄曇りの上海空港を飛び立った。
3泊4日の慌しい旅であったが、思ったより疲労感が少ない。やはりツアーと言うことで、どこかに安心感があるからだろう。もっとも、バスでの移動がほとんどだった事もある。
ツアーの利点は、添乗員の解説付なのでガイドブック要らずと言う点。もっとも、集団の最後尾を歩きがちな私の場合、その半分くらいしか聞いていない可能性が高い。それと食事の時間。円卓での適度な距離感と、適度なコミュニケーションは悪くない。むしろ、4日間で合計12回の食事をずっとT朗と2人きりってのもツラい気もする。
マイナス点は、見知らぬ土地での緊張感と冒険チックな雰囲気は味わえないこと。それと、時間に拘束されることか?
「次は、どこ行く?」
T朗が言い出す。ずいぶんと気が早い。
(中国の旅(2) 完)