永遠の都へ
7月3日。今日は日曜日。白々と夜が明けだした緩やかな丘の向こうにシャルルドゴール空港が見えてきた。時刻はまだ午前5時半過ぎ。今朝は4時起きだった。夜があんなに遅くまで明るい分、朝の訪れは遅い。
バスに乗り込んでいるメンバーは3人減って11人になっている。現地ガイドさんがいないのはもちろんだが、にぎやかだったN母娘もいない。
ふたりは「ロンドン・パリ」のツアーコースなので、今日の午後にパリを発つのだそうだ。な~んだ、お別れも言えなかったよ。
我々の手の平にはサンドイッチと果物(オレンジorリンゴ)が丸ごとイチゴパックのような容器に入って乗っている。出発が早い我々のために、ホテルがお弁当を用意してくれたのだ。しかし、なんとバスの中は飲食禁止。かといって手荷物の中に入れるには危うい梱包状態。せっかくの気遣いを無駄にすることもできないので、11人の日本人グループは、片手でスーツケース引っ張りながら、もう片方の手でイチゴパックを抱えるという、おかしな姿で早朝のシャルルドゴール空港に降り立った。
すなわち、そのお弁当も機内持ち込み品としてX線の機械に通すハメになる。かなりおかしな日本人の集団に見えていることだろう。
床から天井までの大きな窓とガラス張りの天井。搭乗ロビーには朝日が燦々と降り注いで眩しい。椅子に座り、パンとオレンジを、あこはリンゴを頬ばる。この邪魔な手荷物を早いトコ胃袋に収納してしまおう・・・などと悪態をつきながらも、朝に摂る果物は身体がシャキッとする感じがして悪くない。
食べながら、U夫妻に話を聞く。昨日の前半はルーブル美術館を観てまわったと言うおふたり。有名な美術品はひと通り見られたらしい。後半は我々同様に街歩き。主に街の中心部を見てまわったそうだ。
さて、ローマ行きはアリタリア航空317便。7列シートの中型機。さらばフランス、さらばパリ。
昨日までの「ぼんじゅ~る」は、この機内からは「ボンジョルノ」に変わる。なぜフランス語がひらがなでイタリア語がカタカナか?深い意味はないが、フランス語は難しいつづりと絡まるような発音を、イタリア語はローマ字読みなので少しは読みやすいことをイメージしている(つもり)。
「イタリア人の客室乗務員がカッコイイのよ!」
と母親が言っていたのを「アホか」と聞いていたが、アリタリア航空の機内に入るなり理解できた気がした。それは、この機に乗務していた年輩パーサーによる。
イタリアの若者はギラギラしてるうえに、やや馬鹿っぽい感じがするのだが、イタリアの中年男性は程よく枯れた感じがカッコイイ。機内サービスのとき、ビジネスクラスとの間を隔てるカーテンから顔だけ覗かせて我々エコノミーゾーンの様子をチェックしたこのパーサー。彼はハゲあがった額を惜しげもなくさらけ出した短髪なのだが、これが実に格好よく見える。ジャン・レノより、よっぽど清潔感があるしダンディーだ。
これが日本人で、なおかつカーテンの隙間から顔だけ覗かせたならギャグにもならない。それどころか抗議殺到だろう。どうやったらイタリア人のようなハゲかたが出来るのか?
血統的にハゲざるを得ない宿命を負った私。今から研究しておこう。
カラッとした風と強い陽射しが印象的なローマ郊外のフィウミチーノ空港に到着。
ホンジョールノ!
これが、むかし習った地中海性気候ってやつか。それを今、体感していると思うとなんだか妙に嬉しい。時刻は午前10時前。EU加盟国からの入国なので審査等はなく、サラリと移動のバスのなかへ。
木々の緑が多く、背の低い建物が散らばる田舎の街道をバスは順調に走る。やがて、左手に石造りの高い壁を持つ角ばった建築物が見えてくる。カラカラ浴場だ。正面にはアーチ状の水道橋。永遠の都ローマは、唐突に私の目の前にその姿を現した。
そこから先は、まさに永遠の都ローマそのもの。チルコ・マッシモに続いては、コロッセオが窓の外を流れて去っていく。超有名で、しかも千年も昔の建物が、無造作に置かれた積み木みたいにゴロゴロとしている。目の前の景色を、どこか現実のものとして受け入れられずにいる自分を感じる。
共和国広場
バスは石だたみの道を街の中心部に向かって走る。ローマ滞在中のホテルは「ロイヤル・サンティーナ」。映画「終着駅」の舞台になったテルミニ駅の目と鼻の先にある。
駅前だから一等地だ・・・と手放しでは喜べない。「人が集まる所=治安が悪い」でもある訳で。この治安の悪さが、このあと福島のK夫妻の身に振りかかった災難によって立証されることになろうとは、誰が予想しただろうか?でも、これはもう少しあとのハナシ。
チェックインを終えたら、市内観光のバスが出る午後2時までの約3時間はフリータイム。テルミニ駅の地下には、何かと重宝なスーパーがある。でも、あまり治安が良くないので希望者は一緒に下見に行きましょう・・・と添乗員のスズキさん。メンバーの多くはそれに随行するらしいが我々は別行動とした。
部屋の窓の下には、ホテルの入口が面したテルミニ駅の裏通り。黒光りした石だたみの道と、そこに体を揺するようにしてやってくる何台ものバスの屋根が見えている。視界は右方向に開けていて、駅前通りと駅前広場の一部とその向こうにレンガ色の城壁のような遺跡が見える。遺跡は古代ローマ時代の浴場で「ディオクレティアヌス帝浴場跡」。現在はローマ国立美術館となっている。その奥に上半分だけ見える白い建物のある辺りが、恐らく共和国広場だろう。この部屋、眺めは悪くない。
駅前広場の端では、冷蔵ケースに入ったスイカが売られている。夏の陽射しのもと、相当そそられるが、実は冷えていないのではないかという疑問が浮上。パラソルが作る日陰と、水が撒かれた周囲の地面は確かに涼しさを演出してはいる。しかし、どう見ても冷蔵ケースに電気が導かれてはいないのだ。
そんなスイカ売りとテルミニ駅の正面入口を左手に、ディオクレティアヌス帝浴場跡を右手に見ながら歩く。共和国広場手前の浴場跡側の歩道には汚い出店がいくつか並んでいて、誰が店主で誰が客か見分けのつかない東南アジア系外国人たちがたむろしている。パリには無かった、いきなり怪しい雰囲気。彼等を掻き分けるように進む。
共和国広場は光に満ち溢れていた。美しい彫刻に彩られた大きな噴水と、それを取りまくように弧を描く2つの白亜の建物。どちらも真夏の太陽を浴びて輝いている。吹き上がっては流れ落ちる水と、そこから聞こえてくる音はなんだが癒される。噴水の周りは石だたみのロータリー。バタバタとした路面音をさせながら車が走り抜けていく。
不意に小さなパトカーが現れて、ロータリーを通行止めにする。すぐに大渋滞になってしまい周囲にプープーとクラクションが鳴り響く。パトカーに向かってクラクション鳴らすとは、さすがイタリア人。もっとも、渋滞のうしろのほうにいる車からはパトカーが見ないのかもしれないが。
この交通規制の理由はすぐにわかった。突如、白亜の建物の間からもパトカーが走り出てきたかと思うと、あとにクラシックカーが続いてくる。その数、10数台。西方向から来た車列は、噴水の周りを3/4周して北へと走り去っていく。その間わずか30秒ほど。規制のパトカーが立ち退くと、たちまち渋滞は解消し、広場は何事も無かったかのように、再び水の音と車のバタバタ音とを取り戻した。
道路を渡って「ナイアディの噴水」のそばへ。大理石の造形を弾けるように流れ落ちる水は、真夏の太陽のもと、あたりに清涼感を振りまいている。この噴水の彫刻は力強さのなかに、たおやかさを含んでいる。訳もなく2度、3度と噴水の周りを歩く。
スイカ売りと道路を挟んだ反対にあるバールに入る。バール(Ber)はイタリアの街中どこにでもあるカフェで、日に何度もカウンターでエスプレッソを立ち飲みするのがイタリア人の日課だとか。立ち飲みとテーブル席では値段も違うのだそうだ。
この店は遊園地にある売店のような建物で、中は客が3人もいたら満員になるサイズだが、テーブルとついたてを不法に(?)歩道へ配置したオープンテラスがある。
先に触れたように、本当はここでエスプレッソでもオーダーするのがローマっ子なのだろうが、この暑さから逃れるためには、やっぱりビールでしょう!
やってきたのは、イタリアンビールでは無くて、ハイネケンだった。少なくともグラスにはそう書いてある。まあ、いいや。
乾杯~ッ!
こうやって昼間からビールを飲むっていうのも、ある意味イタリア人っぽいかも。それとラビオリをオーダー。これは丸っきりレンジでチンした代物だが意外といける。
もっとも、早朝のパンと果物以来の食事で、なお且つこの天気とビールがあれば、大概のものは美味く感じるのだろうが。
ホテルの前を通り過ぎて、ツアーのメンバーが下見に行ったと思われるスーパーを探す。テルミニ駅の裏の道は確かにあまり治安が良い気がしない。道端で酒を呑む人達。建物の入口で寝ている人。ジプシーらしい貧しげな親子。ゴミも多い。
駅の中に入る。地下のスーパーはすぐに見つかった。グルッと店内を一巡りしたあと飲料を購入。日本の物価とあまり変わらない。再び地上へ。改札口はなく、すぐにホームへ出る。こうやって誰もが自由にホームに出入り出来るのも、治安が良くない理由のひとつだろう。でも、日本と違って低いホームに、鼻先をそろえて発車ベルを待つ列車、それと終着駅ならではの行き止まりになった線路などは趣たっぷり。
まだ腹も満たされてなかったので、ホームの売店でローストハムをはさんだパンを買う。ドトールのミラノサンドみたいなヤツだ。これをかじりながら、旅支度で行き交う人たちを眺めていると、ツアーとはいえ自分もいま旅人なんだなぁ・・・という妙に感傷的な気分になる。
一旦、部屋に戻る。まだ時間があるので、スーツケースから湯沸しポットと変圧器とプラグ、それにインスタントコーヒー、パリのモノプリで買ったインスタントの粉スープを取り出す。電気機器の3つは「ぜったい重宝するから」と私の両親に持たされたもの。確かに、変圧器とプラグはカメラの充電に活躍した。
しかし、湯沸しポットは出番なし。考えてみれば、フリーで同じ宿に10日も滞在している老夫婦には役に立つかも知れないが、1箇所に2~3泊つづのツアーで昼に夜にと遊んでまわっていれば、そんなに使うもんじゃない。だから、そろそろ一度くらい使っておこう・・・というノリだったのだ。ポットのスイッチを入れて1分ほど経っただろうか?
バツンッ!
という音と光が洗面所の方からしたかと思うと同時に、部屋の明かりが消え、テレビが消え、そして湯沸しポットも消えた。ブレーカーが落ちたのだと考え、窓からの光が届かない洗面所で手探りで対処を試みる。しかし・・・やっちまった!
どうやらヒューズが飛んでしまったらしい。
電話は使えたので、内線で添乗員スズキさんを呼んで事情を説明。一緒に付いてきて貰って、フロントで修理をお願いしてもらう。
この時、「日本から持ってきたポットが・・・」なんて言ったらカッコ悪いだけで無く、修理代を取られかねないので、スズキさんには備え付けのドライヤーを使っていたことにしておいて欲しいとお願いして話をしてもらう。
フロントのオッサンは疑いの眼差しを向けてきたが、涼しい顔で流す。そのくせ「OK」をもらったらそそくさと部屋に戻り、慌てて湯沸しポットと変圧器とプラグ、インスタントコーヒー、粉スープをスーツケースにしまう。粉コーヒーは既にカップに入っていたが、これもビンに戻す。証拠は一切残してはならない。
スリの話
集合時間の午後2時になったホテルロイヤルサンティーニのロビーはワイワイと騒がしい。
なんと、福島のK夫妻が集団スリに遭ったというのだ。それは、みんなでテルミニ駅地下のスーパーに行った帰りのことらしい。ホテルまで100m足らずのところでそれは起こった。連れ添って歩くK夫妻の目の前に乳飲み子を抱いた女性が現れた。
「いや~、オッパイ丸出しで乳くれてたもんだから、コリャ見なきゃ損だと思って」
立ち止まったたK夫妻。いや、正確には、止まったのは旦那さんの方だけだろうが。突如、建物の影から4~5人の子供達が現れたかと思うと、ふたりに群がってきた。なかの1人は周囲からの目隠しするためらしい段ボールを拡げたヤツもいたらしい。
・・・かと思うとズボンや上着のポケットに子供達の手が突っ込まれてきた。初めは恐怖に動けず声も出ないふたり。しかし、
「物凄い力で手を引っ張られたもんでコラーッと叫んだら、引っ張ってたのは何とウチのか~ちゃん!助けてとか声出せばいいのに、何も言わねで、たぁだ引っ張るんだがら」
「なに言ってんの!声も出なかったのはアナタでしょ!」
と興奮冷めやらぬふたり。で、どうなったかというと「コラーッ」と言う声に驚いたのか、それとも手を引っ張って輪を抜け出したせいか、子供も親子も散って行ったそうだ。幸い何も盗られなかったらしい。これがパスポートでも盗られていた日にゃ今頃大騒ぎ。市内観光どころではなかったろう。
実は、話はこれで終わらない。そのあと、やはり駅周辺を散歩していたふたりに、通りがかりのイタリア人がKさんの腕時計を指し「その腕時計をしたまま、この先へ進んではいけない」といったようなことを言われたそうだ。
「Kさん、とりあえずそのバッチだけは外しておいた方がいいんじゃないですか?あと、シャツもこんな風にズボンから出せばポケットも隠せるし。そうそう、カッコイイ」
と私。Kさんはシャツの裾をズボンにインに、その上から小さめのウエストポーチをしている。何よりいけないのは、ツアーのバッチをそのウエストポーチの目立つところに付けていること。それはまるで「日本人旅行者です」と周囲に宣伝しているようなものだったのだ。
さて、バスに乗るメンバーは2人増えて総勢11人になる。1人目はマイクを握る日本人の現地ガイドさん。年輩の女性で、よほどイタリア暮らしが長いのか、時々日本語がカタコトになる。もうひとりはイタリア人の現地ガイド。
ローマ観光には、必ずイタリア人のガイドが随行しなければならないと定められているのだそうだ。ガリガリに痩せた体に尖ったアゴ、長い白髪に強めのパーマをした老婆に近い年齢の女性。
「まるで幽霊みたい。大丈夫、どうせ日本語判りっこないから」
と、マイクを通して日本人ガイドさんの声。日本語を話さないこんな老婆が、現地ガイドとしてどれくらい役に立つのやら?当局のお達しとはいえ、この「現地人ガイド」制度。観光都市らしからぬ露骨な利益誘導に見え、あまり感心しない。現地日本人ガイドさんのトゲのある言葉にもそれが現れていた。
ローマは丘の街だ。バスは丘と丘との間の谷間を登ったり下ったりしながら市街地を抜けて行く。道の多くは石だたみ。パリにあったような直線の大通りはなく、綺麗な並木道も少ない。その代わりに、中世の趣きが漂う街並みを、バスはすり抜ける様に進んで行く。かと思うと、突然視界が開けて大きな聖堂が現れたり、古代の宮殿跡が現れたりと、とても変化に富んでいる。
サン・ピエトロ寺院
テベレ川が現れた。目的地はバチカン市国。橋を渡り、少し離れた地下駐車場でバスを降りる。地下通路から、地上へ出て裏通りを歩く。もちろん、耳太郎も一緒。日陰になっているので暑くないどころか、むしろヒンヤリとした印象さえある。
道の途中で、薄いベールのような大きなスカーフを何枚も腕から下げた韓国人女性達に会う。カトリックの聖地へ赴くにあたり、あまり肌の露出が多いのは好ましくないので、その際はこれを纏いなさいということ。言うまでもないが、彼女達はスカーフを配る善意の人々ではなく、あくまでも商売人。それも結構たくましい部類だろうと想像される。もっとも、我が面々にそれが必要とされる人物は見当たらない。女性陣は皆、この強烈な陽射し対策に袖が長めの服を着ている。
白い大理石の円柱が立ち並ぶ姿が見えてきた。サンピエトロ寺院だ。
その円柱の間を抜けると、そこは円柱にグルリと囲まれた大きな広場になっていた。真ん中には噴水、そしてオベリスク。右手が正門方向らしく、人々が流れてくる。反対の左側がサンピエトロ寺院の聖堂。
なるほど・・・あの四角いところの上が、先日のヨハネパウロ2世逝去のあと、コンクラーベの煙があがったあたりか。
照り返しの強い広場を横切って、聖堂へと入る列に並ぶ。ボディチェックがあって通過まで10分ほどかかったが、これはいつもより空いている方らしい。
サンピエトロ寺院は想像以上に大きな建物だった。正確には、ひとつの部屋としての高さと奥行きが想像以上だった。外観からはこんなに大きな空間がある建物に見えないのだ。
壁以外にこの建物を支える柱などはない。その上に大きなドーム屋根が乗っかっている。微妙な薄暗さが、この聖堂をより深く大きく感じさせているようだ。人々の小さな話し声や足音が重なりあって、サワサワと響いている。
見上げると、高いドーム屋根の天頂の丸窓から光が差し込んで、帯を造り出している。それはまるで、真っ暗な宇宙空間に朝日が射すかのようだ。
そして壁面には神々の姿を象った大きな彫刻がこちらを見下ろしている。
パリのノートルダム寺院でもそうだったが、あくまで人間は地べたにあるらしい。ここサンピエトロ寺院では、宇宙と太陽、そして神々が手の届かないところにあって、人間はというと、ただかしずく存在でしかない。
さらに、ここはカトリック教会なので懺悔の部屋もある。人間は小さくて儚くて罪深い存在として罪を告白し、許しを乞い、そして救われるのだ。
一方で、中世のある時期、ローマ法王や高位神官達が、権力に乱れ、財欲に乱れ、性に乱れたことは、世界史に疎い私でも聞いたことがある。そんなことを考えながらこの巨大な空間に身を置いていると、宗教や神って本当に不思議なものだと感じさせられる。
時間だ。みんな揃って表にでる。
異空間のようだった聖堂から、再び太陽の光が溢れるシャバに戻り、眩しさに目を細める。なんだか夢から醒めた様な感覚だ。これは、薄暗い聖堂内の神秘的で荘厳で厳粛な雰囲気と、耳太郎から流れる神や宗教や建物についての現地ガイドさんの説明が、まるで耳元で囁いているかの様だったからに違いない。
今は、ほんの30分に満たない時間だったからこんなものだが、これが何時間もだったらどうだろう?マインドコントロールされる過程って、きっとこんな感じなのかもしれない。